吉永社長に訊く:秘めた力を引き出す「脱・常識経営」

最終更新日:2017/08/18 公開日:




飛行機会社として受け継いだ秘めた力を引き出す

編集部(以下色文字):富士重工業の前身である飛行機研究所(後の中島飛行機)の創業から来年5月で100年となります。この間で受け継がれてきた御社のDNAとは何でしょうか。

吉永(以下略):100周年を前に、この数年間、「富士重工業とは何ぞや、スバルとは何ぞや」と考え続けてきました。自動車業界で規模が小さい当社のコアコンピタンスはいったいどこにあるのかと。

そして行き着いた結論は、「富士重工業は飛行機会社である」ということでした。

 たとえば自動車を設計する際、当社の技術陣は何を置いてもまず安全な車をつくり、人命を守るということを徹底的に考えます。安全性を高めることが、コストを下げることよりも、はるかに高い次元にあるというのが暗黙の了解になっている。

そもそも当社が1958年に発売した最初の市販車「スバル360」の時代から、車を壁に衝突させる安全試験を自分たちでやっているんです。当時、「てんとう虫」と呼ばれた卵のような独特の形も、薄くて軽い鋼板を使っても丈夫なボディの形を追求した結果のデザインでした。

この「最高の安全性を追求する」という思想は、いまに至るまで脈々と受け継がれています。「ぶつからないクルマ?」で知られる運転支援システム「アイサイト」が2010年に大ヒットしましたが、これも技術者たちがその当時で20年もの間、研究してきた技術です。

アイサイトの技術は長い間、まったく日が当たりませんでした。何せ地味な技術ですから、技術者たちは技術本部の片隅で研究し続けていたのです。

商品化した後、技術者たちに「いったい何があなたたちを20年間も支えてきたんですか」って聞いてみたんです。会社人生の大半を一つの技術に捧げるという決断の背景には、よほどの強い思いや執念があるだろうと思うじゃないですか。

しかし、私の問いに対して彼らは「事故を減らしたかっただけです」って、こちらが拍子抜けするぐらい淡々とした口調で話しました。これこそが富士重工業の価値なんだと気づかされました。

当社がコスト競争でライバルと伍していくのは無理です。というか、そういう会社ではない。ではどうやって生き残っていくのかと考えた時、飛行機会社として培ってきた先述の「富士重工業の価値」を伸ばしていこうと思い至ったのです。

 第二次大戦後、多くの国産自動車メーカーが海外自動車メーカーと提携して車作りを学ぶ一方、御社はモノマネを嫌い、独自に自動車開発を行った結果、水平対向エンジンや独自の四輪駆動システムなどの差別化商品を生み出してきました。コストを顧みずに安全性を追求する背景には、航空機の技術者としてのプライドもあったのでしょうか。

戦後の財閥解体の中で、飛行機をつくっていた技術陣はスクーターを生産したり、生き残るためにいろいろなことをやりました。そして自動車の生産に乗り出すことを決めた時、やはり飛行機の技術屋としてつくりたい車というのを考えたと思うんです。

たとえば、スバル車の特徴である水平対向エンジンは、基本的に飛行機のエンジンと同じ構造です。左右対称に対向するよう設計された横型のシリンダー内をピストンが動くので、一般的な縦型のエンジンよりも重心が低く安定性が高まるメリットがある半面、コストは高くならざるをえない。飛行機を設計していた技術者が、よいものをつくりたいという思いで設計したことがよくわかります。

この「何をつくりたいかを自分たちの頭で考える」という気風は、当時からいまに至るまで脈々と続いていると思います。営業畑出身の私が言うのも何ですが、当社の特徴というか最大の売りは何かと聞かれれば「技術陣です」と断言できます。

技術オリエンテッドゆえに希薄だった市場目線

 冒頭の質問の裏返しになるのですが、吉永さんが社長就任した際、御社が長年の歴史で受け継いできた「悪いDNA」とでも言うのでしょうか、治療すべき経営課題については、どういう認識だったのでしょうか。

「悪いDNA」があったとは思っていません。しかし、「うちの会社は社内における判断基準や思考回路が間違っているんじゃないか」と、若い時から思い続けてきました。何というか、発想の原点が間違っているんですよ。





 どういうことですか。

先ほど言いましたように、当社は技術オリエンテッドな会社ですし、それは大きな特徴であり、けっして変えるべきではありません。しかし、経営における発想の起点は市場に置かねばなりません。そのうえでの技術オリエンテッドであるべきです。技術オリエンテッドでつくりたいものをつくり、売れなかったら「顧客がわかってくれないからだ」と責任転嫁するような議論をしても意味がない。

そのためにまず重要なことは、自社のポジショニングを冷静に把握することです。

当社は業界において規模が小さいわけですから、取るべき戦略はおのずと大手と異なるはずです。にもかかわらず、大手と同じ土俵で競争していました。

たとえば、大手の製品よりもコストが高いといって、コストの中身を精査しないまま、コストを低減しろと現場に迫る。しかし、当社製品のコストが高い理由の一つは、よいものをつくることを優先する風土があることです。それは短所でもあるが、見方を変えれば長所にもなるのです。

結果的には販売台数が増加したことでコストも下がりましたが、それはコスト削減を目指したからではありません。

「コストを考えずによい車をつくりたがる」というのを長所ととらえれば、その長所を伸ばすために取るべき戦略は、がらりと変わります。つまり、闇雲にコストダウンをするのではなく、「スバル車のよさをきちんと顧客に認めてもらう」ということを戦略の軸に据えるべきなのです。

たとえば、「スバル車は他社より少し高くても、アイサイトという他社にない技術によって、事故を軽減することができますよ」ということを訴求することで、その映像を見た人は驚くでしょうし、間違いなく購入してくれる人が現れるでしょう。

当社は、こういう市場からの発想が苦手でした。「業界の常識」を意識するばかりに、みずからの強みを発揮できなかった。しかし、「業界の常識」とは「大手企業にとっての常識」に過ぎず、当社のような中堅以下の規模の会社にとっては必ずしも常識ではないのです。

スバルを成長に導いた3つの選択と集中

 2011年に吉永さんが社長就任後、3つの集中と選択を段階的に行いますね。第1段階では「事業の選択と集中」によって風力発電事業やゴミ収集車事業などを売却しました。

新分野にチャレンジしようとして新規事業を興すことを否定はしません。ですが、当社の問題は、新規事業を始めた後に勝算がないとわかっても、それを止めるという判断をなかなか下せないことにありました。

たとえば、風力発電は飛行機で培った羽の技術を発揮できると考えて始めました。その考え方自体は間違っていないと思います。しかし、ライバル企業が100人単位の営業マンを投入しているにもかかわらず、当社は人員の余力がないので、たった数人の営業マンで競争せざるをえなかった。もしも風力発電を本気でやるなら、他社に負けない体制でなければ勝てるはずがないのに、中途半端なままで事業を継続していたのです。

こういうことをずっと見てきた。でも私は社長じゃないので、意見は言うんですが、まったく通りません。だから、自分が社長になったら、勝算のない事業は撤退しようと思っていました。もちろん、雇用は維持したうえでのことです。

 撤退か否かの判断基準は利益が出ているかどうかではないのですか。

はい。本気で経営資源を割いて戦う覚悟がないのに継続するなんて、市場にも従業員にも失礼じゃないですか。やるなら命がけでやるべきです。

中核の自動車事業ですら生き残れるかわからない状況だったので、止めるべき事業はすぐに止めることがスタートラインだと思っていました。だから2011年6月の株主総会で私の社長就任が決まった後に、社内で検討を始めてもらいました。




 そして、次に自動車分野での経営資源の集中と選択をします。具体的には軽自動車の生産からの撤退を決めました。

軽自動車の生産から撤退したのは私の社長就任後の2012年ですが、その決定をしたのは2008年、前社長の森郁夫さんの時代です。私は戦略本部長や国内営業本部長をやっていたので、その戦略立案に関わりましたが、最終的な決断をしたのは森さんであり、英断だったと思います。

森さんは、技術系の出身ですが、アメリカでの生産拠点の立ち上げや、海外営業本部長を歴任したこともあり、世界市場をとてもフラットに見ることができる人でした。当時、経営陣で当社の将来について議論した結果、「国内市場にこだわらず、世界でどうやったら生き残れるかを最優先に考える」ということで合意しました。

こうして経営判断の起点ができ、ここから事業の状況を見ていくと、軽自動車という国内市場の専用車は、経営資源が乏しい当社が優先すべきではないという結論になりました。当社は「スバル360」からスタートした軽自動車の会社です。しかし、軽自動車は価格競争が激しく、勝敗を決めるのはコスト競争力であり、規模で劣る当社に勝ち目はありません。国内営業で育った私にはつらい決断でしたが、撤退以外の道はないと思いました。

軽自動車の生産撤退を発表した2008年、吉永さんは国内営業本部長でした。国内ディーラーなどからの反発の矢面に立たされたわけですね。

森さんが2006年に社長就任すると同時に私は戦略本部長となり、軽自動車の生産撤退などをずっと議論してきました。そして中期経営計画を策定し、2007年に発表しました。この時、軽自動車の撤退はまだ明らかにしていませんでしたが、すでに織り込み済みでした。

そして発表日の直前、森さんに呼ばれて「(発表時に使う中計が書かれた)パワーポイント資料に2枚足したから」と言われました。「1枚は組織変更、もう1枚は人事」とのこと。それで中身について聞くと、人事については私が国内営業本部長となっているじゃありませんか。

「国内の人たちのつらさを一番知っているあなたが先頭に立って改革をやってくれ」と言われました。あの人事はいま思い出しても最高傑作でした。

 知らぬ間に最もつらい役回りを押し付けられた。

その通りですが、とても正しい判断だったと思います。国内営業を知らない社員がディーラーに話をしても反発を生むだけです。それよりも、国内営業育ちの社員が、「社内でいろいろと議論したが軽自動車の生産撤退しか道がない」と伝えれば、その思いを多くのディーラーは理解してくれるでしょう。

 そして3段階目として、乗用車分野において他社と差別化を図るため、製品の選択と集中を行います。第1段階と第2段階は中核事業を存続させるための“守り”ですが、第3段階ではどの市場を狙うかという“攻め”の決断になりますね。

その通りです。風力発電事業や軽自動車生産を止めるって、当社にとっては大変な決断ですけど、顧客には関係ないことです。たとえば、顧客は当社製品「レガシィ」を買うかどうか迷っているときに、大事なことは、当社の乗用車が顧客にどのような価値を提供できるのかということです。平たく言えば、「何を売りにする車をつくればいいか」です。そこで若手社員たちによるプロジェクトチームをつくって議論させました。すると彼らは当然のように「環境ナンバーワンの車」と言う。

時代背景を考えれば「環境」と言いたくなる気持ちはわかります。しかし、当社の規模では独自にハイブリッド車の開発はできません。私がそう言うと若手社員たちはどんどん追い詰められていって、「我が社には売りになるものが何もない」といった話になってきました。

しかし、こんな小さな当社が何十年も生き残ってこられたのはなぜかといえば、それは顧客が支え続けてくれたからです。そこには理由があるはずだから、それを全員で考えようとなりました。

ここで冒頭にお伝えした話に戻るのですが、当社は飛行機会社の思想がいまも受け継がれている会社だということに気づくんです。そして、スバルらしさとは、「安全を重視する」と「意のままに操縦できる運転の愉しさを重視する」であるという価値に行き着きました。こうして「安心と愉しさ」を提供する会社としてナンバーワンを目指すという方向性が固まったのです。

「楽しさ」ではなく「愉しさ」ですね。

ここはすごくこだわってます。「楽」って、音を楽しむのが音楽であるように、対象物があるものをたのしむです。これに対して「愉」は“りっしんべん”つまり、心がたのしいです。

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